こんにちはせんちゃん(@senchan0413)です!
気づけば1年経っていました…早いものですね。
せっかくの記念日なので一年を振り返るとともに、一番印象に残った出来事をお話したいと思います。
目次
道草ぶろぐ開設から1年を振り返る
去年は私の人生の中ではじめて身内が亡くなるという出来事が起こり、私のこころはジェットコースターのように浮いたり沈んだりしていました。
2月 | じいちゃんの四十九日に親族で集まる。 |
3月 | 父が余命半年宣言を受ける&父の介護開始。 |
4月 | 父の足の骨にガンが転移したので骨の中に棒を突っ込む手術の付添。 |
5月 | 父が頻繁に倒れて救急車に乗る回数が増えていく。 |
6月 | 父が公園でタバコを吸ってるのが見つかり強制退院。 |
7月 | 父の肺炎が悪化し救急車に運ばれ入院、3週間後亡くなる。 |
8月 | 父の家の掃除&退去の手続き。借金が出てきたので相続放棄の手続き。 |
9月 | 相続放棄が受理されたので、借金をしていた各会社に書類を送る。 |
10月 | 精神的に疲れたので大阪を離れ、栃木の知人宅にて療養。 |
11月 | 私の飲んでる薬(精神安定剤)が無くなったので大阪に帰還。 |
12月 | 友人とルームシェア開始。 |
1月 | じいちゃん1周忌。父方、母方の墓参り。 |
2月…あべのハルカスに行き、チョコ狩りをする。
こんな感じの一年でした!
去年は一年のほとんどが父のことで頭が埋め尽くされていました(笑)
父は私が生まれたときから病気と戦ってきたので、いつ何時死んでしまうかわからないという覚悟はしてました。
父のC型肝炎という病気は、感染してから20〜30年で亡くなる確率が高い病気なので61歳でしたが長生きしたほうだと思います。
感染してから30年以上生きてくれました。

C型肝炎の詳しいお話はこちらの記事から↓
私も30歳なので、父はこの歳で余命宣告されたんだなぁと自分の誕生日のときに感じたりしていました。
道草ぶろぐを通してできた解離とともに生きる仲間

私は9月、10月と栃木県に行き療養していたのですが、ツイッターのフォロワーさんで同じ栃木県に住む方に会いに行きました。
「解離性同一性障害という病気を持つ方(私と同じ病気)」ということ以外お互いの情報はまったくわからないまま…
ツイッターでの名前はMさんです。(頭文字)
私は夜のお仕事をしていたこともあり、人に会うとなったときの危機感というものが低いです(笑)
その方の名前も年齢も連絡先もわからぬまま、ツイッターのダイレクトメッセージのやり取りをし、電車で2時間半かけ会いに行きました。

ここで一つだけミスをしたなと思ったのは、田舎ゆえ電波が途切れ途切れになることがあり、ダイレクトメッセージにタイムラグが出たのでやっぱり携帯の番号くらいは交換しておけばよかったなと反省しました(笑)
会ってみると、とても綺麗な女性で車でお迎えに来てくれました。
車内で軽くお話しながら、道の駅に行って野菜を買ったり、きれいなお花畑を探索したり、重要文化財の見学をしました。

道の駅明治の森にて。浮かれまくったせんちゃん。

とってもきれいなお花畑(*´ω`*)

このお屋敷が何なのか気になり、近づいてみると重要文化財のようで見学してみました!

中がまたおしゃれ〜!
旧青木家那須別邸という国の重要文化財のようで、明治時代に外務大臣を務めていた青木周蔵さんの別邸として建てられた建築物だそうです。

そのあとは『森のvoivoi』というカフェに行き、オッサレ〜なパンケーキをいただきました。

おかずパンケーキを初めて食べたのですが、上にかかったチーズのクリームと野菜がよく合う!!!
まるでイマドキおされ女子になれた気分でしたが、このときジャージです(・∀・)
おされ女子への道のりは果てしなく遠い…
食べながらお互いの病気のこと、治療のこと、生活のこと、色々お話しました。
Mさんはとても聞き上手で、まるでカウンセラーとお話しているような錯覚を起こすくらい話しやすい方でした。
お話していると、不思議な共通点が出てきました。
- お肉が苦手
- 何事にも丁寧
- 恋愛に依存していた時期があった
同じ解離性障害だからなのかはわかりませんが、ちょっと似てるなぁと思える点がところどころありました。
私とMさんはこの写真を見るといろんなところへ行き、とても元気そうに見えると思うのですが、健康な方と違うのは一つ行動を起こすたびに休憩を入れないといけないところです。
解離を起こさないための外での動き方

私が『Mさんと会う』と決まったとき一番心配したのは二人揃っての解離(人格チェンジ)です。
もし、知らない場所でお互いに解離してしまうと収集がつかなくなる恐れがあります。
これはMさんも心配していたようで、事前のやりとりで『こまめに休憩をはさもう』とお互い話しました。
ひとつ移動するごとに休憩をはさみ、最大限お互いが疲れないよう配慮しました。
おかげでこの日はお互い解離することなく過ごせました。
Mさんは移動中、自分の中の(人格の)声が、「今こう言ってるんだよ〜」と教えてくれました。(私はこれができない)
どんな人達が自分の中にいるのか、それがどう自分に影響を及ぼすのか、丁寧に教えてくれました。
自分たちの心と身体の声を拾いながら、栃木の大自然を満喫しました。
頑張った次の日は身体が思い通りに動かない

しかし次の日は二人揃ってダウン(笑)
- 初めての人と会う
- 遠出をする
- いつもと違うリズム
ここらへんが疲れた原因かと思いますが、こんな機会は滅多に無いと思い、体はヘロヘロでも心は満足していました。
Mさんとの出会いは私の中で新しい風が吹いたような感覚で、別れ際に『お互い絶対に幸せになろうね』と言い合いました。
私にはこの病気になってから『ゴールをどこに決めるのか』という課題がありました。
解離性同一性障害の治療の終わりはどこになるのか

どの状態になれば治療が終わったと言えるのか、解離性障害という病気になってからずっと考えていました。
- 人格の統合(一つの人格にまとめる)なのか
- 人格の共存(他の人格と共に生きる)なのか
- まったく別の形になるのか
ネットで探ったりもしましたが、答えがわからず。
カウンセラーや病院の医師に聞いてもケースバイケースで人それぞれとのこと。
もうわからないので、なるように身を任せておこうかと思っていました。
私はMさんと出会って、目指すべきは病気の完治ではなく、今を精一杯生きれるようになることなんじゃないかと感じたのです。
心のどこかで早く治そうと意気込みすぎて、今を楽しもうとする余裕なんてなかったなと気付きました。
どんな病気であれ、私の人生なんですよね。
私が自分の人生を生きずにどうするのかとMさんと話しました。
最終的に自分たちはどうなるのか、お互いまったくわからないけれど、
『幸せになる、それを自分が許してあげる』
というのをゴールにしたいなと心から感じる素敵な出会いになりました。
おわりに
今回道草ぶろぐ一周年記念ということで一年を振り返りながらMさんとの出会いをお話しました。
Mさんと会ってから初めて知った事なのですが、私は以前にTokinさんの本をブログで紹介しました。
紹介した記事↓
解離性同一性障害がよくわかる漫画!『実録解離性障害のちぐはぐな日々〜私の中のたくさんのワタシ』
この記事をTokinさんは自身のツイッターでご紹介してくださり、それを見たMさんが私のことを知りフォロワーとして繋がったというのを聞きました。
私とMさんの縁は
- Tokinさんの本を買ったこと
- 私のブログにて『かいちぐ』を紹介したこと
- それをTokinさんが拡散してくれたこと
によるものだったのです…!!
こんな偶然が実際にあるんだなぁと、いやあの本はほんとによかったよね〜なんてMさんと話しました。
私は、私とMさんをつないでくれたTokinさんの本がさらに大好きになりました。
辛いことがたくさん訪れた一年でしたが、素敵な縁もあって私はまだまだ生きていけるなぁと感じました。