プロフィール

はじめましてこんにちはせんちゃん(@senchan0413)です!

せんちゃん
せんちゃん
当ブログに足を運んでいただきありがとうございます。

ここでは当ブログのテーマと私自身についてご紹介できたらと思います。

 

道草ぶろぐのご紹介

何かしなくちゃいけないのに何も出来ない焦っては自己嫌悪けんおの繰り返し。

うつ病解離性同一性障害を患わっている私はなんとか前に進みたいという思いが止められず失敗を繰り返し、まわりの人にもたくさん迷惑をかけた時期がありました。

 

そんな自分に『人生道草くらい、いいのではないか?』と問いかけることはや数年。

今やっとほんとうの意味で道草できるようになってきました。

 

同じように苦しんでる方に少しでも寄り添いたい、でも現実それは不可能なので、こんな方法があるよ、これはどうかな?私はこうしたよ〜という自分の体験をこのブログを通して伝えていけたらなぁと思います。

 

せんちゃんの自己紹介

名前 せんちゃん
年齢 30
出身 大阪
趣味 漫画・掃除・星のカービィとセーラームーンのグッズ集め
動物 猫好き
家族 父、母、姉、弟①、弟②

私は4人兄弟の次女です。

父は母と離婚後別居、姉は結婚により家を出たので、母、弟①、弟②の4人で暮らしています。

追記 父は令和元年7月29日永眠

 

 

うちは糖尿病家系で母、弟①が糖尿病です。

父は薬害肝炎被害者でC型肝炎という病気になり、もう長くは生きれないと言われてから荒れ果てギャンブルで借金、治療費が足りず借金、毎晩飲み歩きアルコール中毒、我が家は借金地獄の中生活してました。

風呂無し、ぼっとん便所の借家が私の育った家です。

 

物心ついたときから弟たちの世話と家事に忙しく、両親は非行に走った姉の捜索に忙しく、わちゃわちゃした家族でした。

両親に特にかまってもらった記憶は無く、大人になり病気が発覚してからの今が一番迷惑かけてると思います(笑)

どこかに自分の居場所を求めていたのですが、働ける歳になり水商売をはじめてからやっと自分の居場所が見つかったような気がしていました。

私がはじめて働いたのは地元のスナックで、当時の最低賃金が700円そこらの中で時給1500円というスナックのお仕事は魅力に思え、ママに何故こんなに時給が高いのかと聞きました。

ママ「高いと感じるのね、でも明日も生きてる保証が無い世界だから私は決して高いものだとは思わないの。

この言葉が印象的で、働いてる間ずっと胸にとどめていました。

 

この次に働いたキャバクラで先輩じょうが行方不明になり、3年後白骨化して見つかったとき一番この言葉の意味を実感しました。

 

色んな人たちが集まる場所で、長く腰をえることのリスクもあり経営側にまわろうか、安全な店を作る為自分のお店を持とうか、引退しようか悩んでる矢先に病気が発覚し、病気の治療に専念すべく私は引退を選びました。

 

鳴りっぱなしだった携帯もおとなしくなったもので、今では充電器に繋げっぱなしにしなくても大丈夫な日々がやってきました。

 

病気の経歴

11歳 解離性障害により人格が変わる
21歳 教育実習にてパワハラを受けうつ病を発症
21歳 うつ病発症から約2ヶ月後解離性同一性障害が発覚する
30歳(現在) 現在も治療中で一進一退の中暮らしてます

 

私は解離性かいりせい同一性どういつせい障害という病気を持っています。

昔でいう多重人格というもので、複数の人格を持っている状態です。

私の場合他の人格へ入れ替わるときの流れは、

  1. ストレスを受ける
  2. バタッと倒れる
  3. 数分後目覚めると別の人格になる

という感じです。

この病気の人格の入れ替わり方は人それぞれで、倒れずにスッと人格が入れ替わる人も多いようです。

私はなぜか倒れてしまうのですが、車の運転中倒れてしまい、意識のないまま走行した経験から今は運転をやめています。

 

他の人格になっている時間は数分から数日、ながければ数年という感じです。

 

なぜ解離性障害になったのか

最初の解離が11歳だったのですが、当時の人格が消滅してしまっているのではっきりした原因はわかりません。

今の私がわかることは、当時の家庭環境があまりよくなかったこと、それだけです。

 

最初の解離の原因はわからないものの、解離する原理というのはだんだん自分の中でわかってきました。

これ以上ストレスを受けると生きれない

この状態がきたら人格の交代がくるようです。

解離性同一性障害という病気の中で人格交代は生きるすべのような気がしています。

私がこの病気になり、自分自身が勉強する中で印象的だった言葉があります。

問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ

スピーゲル/ウィキペディアより引用

 

情けなくともそのとおりでとても心に刺さりました。

病気の原因を探し求めるよりも、なぜそうなるのかを知り、対策したほうが私は生きやすくなったので日々模索中であります。

 

解離性同一性障害で困ったこと

この病気で実際に一番困ったことは、仕事です。

私の場合、他の人格になったときの記憶の共有が出来ません

以前保険会社に勤めていたとき、人格が交代してしまったことがあります。

保険を売る営業のお仕事だったのですが、試験に合格した人が保険を売る資格を持ちます。

 

しかし、人格が交代してしまった私は、保険の知識が何もない素人になってしまいました。

保険の知識が無いことはおろか、自分の職場もわからず、住所を聞く始末です。

もう一度試験を受けることは出来ず、保険の知識が無いと仕事にならないので退職しました。

うつ病で退職する人はよくいたそうですが、解離性障害が原因で退職する人は前例が無かったようで辞めるときがかなり大変でした。

 

病気が発覚してからもアルバイトはいくつかしており、障害者施設での介助のバイト、不登校支援のアルバイト、介護施設の清掃(障害者枠)などをしていました。

症状が重く出てしまうとどのお仕事も難しいものがありましたが、清掃のアルバイトは障害者枠で働かせてもらったこともあり、とても働きやすかったです。

職場の人間関係も良くずっとここで働きたいと思えるほどでしたが、ハードな肉体労働ゆえ引きこもりだった私の股関節は耐えれなかったようでドクターストップがかかり渋々辞めました。

思いのほか体も弱っていたので、引きこもってる間も筋トレなどをやっておけばよかったなぁと後々後悔した点でもあります。

 

病気とともにどうやって生活するのか

保険のお仕事で、上司が家にまできてくれたこともあり、私の家族は「もう他人に迷惑をかけるなら働くな!恥かしい!」という状態でした。

 

しかし、生きていく上でお金は必要なのでどうしたものか困りました。

もう一般のお仕事は無理だろうと諦め、障害年金を受給し、家族のサポートにまわるべく黙々と家事をこなす日々を過ごしました。

『働けないけどなるべく足を引っ張らないようにしよう』

というところからスタートしました。

支出を抑えるために毎月絶対に必要なお金、固定費の見直しを始めました。

電気・ガス・携帯・Wi-Fi代を見直すことにより、毎月約1万ほどの節約ができました。

これらの固定費を現金からクレジットカード払いに変え、日用品等もできるだけカード払いに変えました。

最初は何が何でも働かないと家にいさせてもらえない!と思っていたのですが、次第に私の目標は、

バイトで3万稼ぐと思って3万節約

に変わっていきました。

 

次にポイ活(ポイント活動)を始め、アンケートモニターの参加など簡易的で単発のバイトなどもしました。

単発のバイトだと人格が変わる前に仕事が終わっていたりするので比較的やりやすいなぁと思いました。

しかし、自立するにはこれだけでは生活出来ないのでまだまだ模索中です。

 

病気に関する家族の理解について

精神の病気になると家族の理解は大切ですが、私は家族にそんなに詳しく伝えておりません。

  • 病気である
  • 人格が変わったりする
  • 精神障害者手帳を持っている
  • 普通の人のように働くのは難しい
  • 障害年金を受給してるので光熱費、日用品系は私が支払う

という最低限のことだけ伝えている状態です。

あまり理解は無く、私も伝えるというのは諦めている状態です。

理解してもらえればベストですが、もう高齢になりつつある親にこの病気を理解しろというのはあまりにも難易度が高い気がして詳しくは言ってません。

しかし、病気が発覚してからかなりの時間が経ったので(約10年)家族もなんとなーくわかってきているようで、「今日は誰や?」と時々聞かれます。

 

病気で生きづらさを感じている方へ

私は病気になり、自分と他人を比べ焦っている自分がいました。

『みんなが当たり前のように出来ることをどうして自分は出来ないのだろう』

これは何度も何度もぶつかってきました。

どうしてが出るたびに私の心は壊れそうでした。

『長い人生、道草くらいいいのでは』

そう思える自分でありたいし、辛いときにはそう思ってほしいなぁと思っています。

いいんですよ立ち止まっても。

歩いてるときじゃ見えない景色が広がっていて、なんだか綺麗に見えたら小さな幸せ感じたりしちゃって素敵じゃないですか。

 

自分なんか…と思ったら休憩しましょう。

まわりの声が気になるかもしれませんが、少なくとも私は美味しい珈琲をいれるからいっしょに飲みましょうという心持ちです。

 

おわりに

このブログは病気のことについて書いた記事がありますがあくまで一般人であり、医学的な内容ではありません

 

私に合った方法がこのブログを見た方にも当てはまるなんてことは思っておらず、今後もまだまだ医学の進歩によって今の状況は塗り替えられるんじゃないかなぁなんて期待してます。

こんなときはどうすればいいのか、数ある中の1つの方法として読んでいただければ幸いです。

 

私は今までこういったブログというものを書いたことが無く、つたない文章だと思います。

文章にするというのがこんなに難しいのか…と実感しながら書いております。

暖かく見守っていただけたらありがたいです。

ゆっくり、あせらず、共に生きましょうね。