病気関連

父と過ごした最後の日(近況報告)

こんにちはせんちゃん(@senchan0413)です!

 

せんちゃん
せんちゃん
まだまだ頭の中は父のことばかりです(笑)

 

7月に父が亡くなり1ヶ月が経ちました。

手続き等もだいぶ落ち着いてきて(8割くらい)最近はまったり過ごしてます。

父が亡くなった日は私の人生で一番多くありがとうを言った日になりました。

 

 

父と過ごした最後の日

7月は父の入院が今までで一番長い、最後の入院になりました。

余命残り2ヶ月を切るといったところで医師から緩和ケアの話もあり、ホスピス受け入れ先の申し込みなどをしていました。

何件かお断りの連絡を受け、自転車で1時間ほどのところへ申し込みましたが受理される前に父は亡くなりました。(予想を上回る入居率でした)

 

亡くなる前日に大部屋から個室への移動が許可されたので、はじめて付添つきそいで父の病室へお泊りしました。

 

両親が離婚してから父といっしょに夜を過ごすのは初めてでした。

個室にうつると冷蔵庫があったので、冷やしたジュースを飲ませると冷たくて美味しいと喜んでいました。

 

普段は住まいが別々なので、すぐ呼び出されてもいいように備えていたのですが、目の前に父がいるとすぐ介助できるという安心感がありました

 

 

最後の夜

肺炎を起こしていた父は高濃度こうのうど用酸素マスクをつけていました。

このイラストの酸素マスクに袋がついたタイプのものです。

酸素が袋にたまり、マスクしに呼吸をします。

酸素量はマックスにしていたのですが、それでも呼吸が追いついかず袋がぺしゃんこになり父はとても苦しそうでした。

 

酸素量が低下すると警報音のようなものが鳴り、看護師さんがけつけます。

父と過ごした最後の夜はこの警報音が鳴りっぱなしで看護師さんが何度も何度もきてくれました。

 

指ひとつ動かすと酸素が足りなくなり命が危険になるので、姿勢も動かさずただひたすら苦しそうに呼吸をしていました。

この日の夜、自分の死を感じていたのか紙に何かを書こうとしていました。

しかし腕を動かすと酸素が足りず呼吸ができなくなり、警報音で看護師がかけつけ動きを静止させます。

 

このとき15分以上かけ最後に書いた文字はたった3文字の姉の名前でした。

 

 

病院からの電話

朝になり、私自身が飲用している薬があと2日分しか無いこともあり、自分の病院へ行かねばと用意をしていました。

 

離れるのが不安だったのですが、看護師にそのことを伝えると「大丈夫、行ってきてください」と言われ父には5時間後戻ってくるからねと伝え病院から出ました。

 

病院から私の家まで片道2時間かかるのですが、ちょうど地元の駅についた頃病院から電話がありました。

 

心拍数が下がってるからすぐに戻ってきてほしいとのことで、そのまま父のいる病院までトンボ帰りしました。

急ぎたいがためタクシーに乗り込んだのですがちょうどその時間帯に駅で事故が起こり、車は混み合っていました。

 

私はなぜかもし父が死んだら病院から電話があるだろうと思っていたので、電話が鳴らないうちは生きていると思っていました。

 

鳴るのか、鳴らないのか、ドキドキしながら父の病室の前に着くと酸素が足りないときの警報音が聞こえました。

 

 

病室に入ると、看護師と姉と姪っ子と酸素の袋が膨らんだままの父がいました。

おとん戻ってきたで!

いつもの照れたような「おう、きたか」という返事は無く、目を閉じて動かなくなった父がいました。

 

警報音とは別のピーっという音が流れていて、心電図モニターが0になったときの音だとようやく気づきました。

 

 

押し寄せる後悔

昨晩あんなに苦しそうだった父の顔は笑っているような安らかな表情でした。

手は少しあたたかく、死後間もないことがわかり、私の頭は衝撃と後悔で爆発しそうでした。

 

泣いて床にしゃがみこんでしまった私に看護師が私の体を支え椅子に座らせてくれました。

 

パニックになってはいけない、しっかりしなくてはと思うのですがまぁ辛くて辛くて。

 

こんなことなら地元に帰らなければよかった、間に合わなかった、看取れなかった、一人にしてしまったと頭の中は後悔でぐるぐる。

もし父が私を見ていたら「気にせんでいい」と言うだろうことはわかっているのにこのときばかりは後悔が止まらなかったです。

 

 

たくさんのありがとう

医師が到着し、12時34分父の死を言い渡されました。

 

父と関わったことのある看護師が入れ代わり立ち代わりやってきて、父に触れながら声をかけてくれました。

 

タバコ問題で一度強制退院になったことのある父は看護師さん達の間ではちょっと有名な人だったようでみなさん口を揃えて「最後吸いたかっただろうねぇ」と言っていました(笑)

 

各々おのおの父とのエピソードを教えてくれ、とても優しくしてくれて感謝していると言ってくれました。

 

今でもこの日のことはよく覚えていて、関わるすべての人が優しくて、私は泣いてばかりでした。

 

改札を通らずトンボ返りしたので無賃乗車になってしまったのに改札を通してくれた電車の駅員さん、途中から料金メーターを切ってくれたタクシーの運転手さん、たまたまエレベーターに居合わせて助言してくれた見知らぬおばあちゃん、その時の精一杯のありがとうを伝えたけど足りないんじゃないかと思うくらい感謝しています。

 

引きこもりの私が思い描いてた世の中はもっと風当たり強いものだったのに、こんなに優しくされたら私も優しい人間にならねばなんて思えてしまっています。

 

 

おわりに

自分の気持ちを整理したくて父と過ごした最後の日を書きました。

 

父が亡くなり辛かったのですが、父が好きなように生きてくれたこと、父の世話を出来たこと、これが私の中での大きな救いです。

 

いつも手術や入院を乗り越え復活するので、よく姉と「あんなん死ぬ死ぬ詐欺やで」と笑い話にしていましたが、ついにこの日がきたんだなぁという思いです。

 

昔から自由気ままな父で、私や弟たちはほんとうに大変な日々を過ごしましたが好きなことを最後まで貫き通して生きてくれたので思い残したことは少ないんじゃないかと思うと気持ちが救われます。

 

どんなに体がむしばまれても最後まで弱音を吐かなかった父には『生』というものをまざまざと見せつけられたような気がします。

でも手術当日に小さく震えていた父はほんとうは怖かったのだと私は知っています。

 

いつか父にまた会ったらお疲れ様とありがとうを言いたいです。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

ブロガー1年生
せんちゃん
自宅警備員歴が長いためうなぎのぼりに家事スキル・節約スキル・病気の知識があがる。それらをちょこちょこ紹介していきます。
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